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第二章 ミセス・ロビンソン


・・・壱 あれが噂のミセス・ロビンソン・・・


 異常なほどに澄み切った夜空は満天の星々に飾り立てられていた。そんな深夜も一時になろうかという頃、 突如裏庭に人影を感じた。
 まだハウスに引っ越して二ヶ月と経たぬ、ある夜のこと。夕方より学校の連中六人で、いつものように音楽を聴いたり ギターを弾いたりと、みんなアルコールもだいぶ入っているしで、楽しく飲み会をしていた。
「芸術におけるダイナミズムとは、弁証法的客観性における現われとしての表現性、いわゆる人間における精神のよりど ころにおいて超越的解釈の上になりたつ、いわば宇宙意識としての生命の進化そのものであり、そのDNAに示され、託 された、いうなれば根源的、超自然的次元の上に立って考えるに」
「オイオイ、なにを言い出したんだ夢は、考えるな、考えるな、変な所に立って。なっ! 知念、そうだろ?」
「なっ! て俺に振るな、ベンソン! 俺には何もわっからんさ」
「また夢見が訳の分からんことを言い出したのかぁ、あいつは酔うと、アレが始まってしまうんだよな、アレさへなければいい奴なんだけれどもな」
「富田、そこまで言うことはないだろ、いいじゃないか夢見だって色々と勉強をして考えているんだから、オイラは好きだよ夢見の話」
「矢内原は夢見びいきだからな」佐伯が言う。
「お前たち、いるんだろ!」裏の勝手口のドアをドンドンとたたく者がある。低く、ドスの利いた、一応、女の声が夜の闇をつんざいて飛び込んできた。
「あっ! 来た! 夢何とかしろよ」
「今夜はなんか来るような予感がしたんだ、ヤッパリ来たか」
「それにしてはリュウちゃん結構機嫌よく演説していたぞ」
「そんな事ないよ」
「おい、そんなこと言ってないで、誰でもいいから出たほうがいいんじゃないか」佐伯が心配そうに口を出す。
「オーイ! いるんだろ! 早く開けな! 何してるんだい」ミセス・ロビンソンが、裏庭のドアの前で叫んでいる。
「エー! あれでも女か? 怖えー、夢早く出ろよ」
「なに言ってんだよ、竜崎が出ればいいだろ」
「ワシはやだよ、怖いから」
「何が怖いだよ、ガキじゃあるまいし、何でもいいから行って聞いてこいよ、竜崎」
「エーッ ワシが行ってもな、そうだ知念が行けば、君なら大丈夫だから」
「何が大丈夫だよ、いつまでもこんな事してても仕方がないさぁ、エーとね、それじゃあ私が代表で決めるとするかな、やはりここは一番受けのいいリュウちゃんが 行ったほうがいいんじゃないかな、ヘイ リュウ ゴー」竜人はいつもこの手で人にやらせてしまう。
「命令形かよプリーズはって言うか、代表ってそれ勝手だな、僕が行くのかよ、なんだかよくわかんないけど、まっ、しょうがない行くか、 でも何しに来たんだろうな、また、しかられるのかな」頭をたれ、つぶやきながら仕方なく龍生が行く。いつも演奏をしていると、うるさいとよく怒鳴られるのだ。
 恐る恐る勝手口のドアを開ける。それはもう薄汚れたベニヤパネルといった貧相な扉である。何たってこの建物自体、かなり古くて、 いつ取壊してもいいくらいである。事実この家を借りるとき大家さんが、この家は壊すつもりだから何をしてもかまわないと言っていた程である。
 龍生は少々緊張気味に、顔を両手のひらでぬぐいみんなの方を振り向き意味もなくうなずいた。様子を伺いながら恐々顔を出す。 そこには例の厳つい紛れもない日本人のおばさん、ミセス・ロビンソンがいた。
 最初からわかっていたのであるが、しかしどうしても怖いのである。その厳つい肩、厳つい顔、身体全体がどうしてこれで女なのだと言いたい。 下手な男よりごついのである。よくボブも結婚をしたものである。アメリカ人の日本女性に対する美的感覚を疑りたくなってしまう。しかし一人娘のシェリーは可愛い。 まだ三才ぐらいであるが、愛想もよく、愛らしいと言った感じである。
 立川には知ってのとおり米軍基地があり、亭主のボブ・ロビンソンも軍人としてこの基地に勤めている。
 その周辺には多くの米軍人用のハウスがある。今では一般の日本人が多く住んでいるのだが、龍生達が今住んでいるハウスは少し国立よりのため、数は少ない。 それらのハウスには今でも多くのアメリカ人が住んでいる。その中には、日本人を妻としている者も少なくはない。ミセス・ロビンソンもその一人である。
 ハウスは車が三、四台は駐車できる空き地を囲むように、四、五軒建てられている。彼等のハウスの敷地内にも小さな庭が表と裏にある。
 表の庭には腰までの高さの赤い柵が張り巡らされ中央当たりに、一人がやっと通れるほどの扉、そしてそこから玄関までの間には、 彼等の手作りのアーチが据え付けられていて、それには山葡萄のツルが巻き付いている。
 庭の中は歩く隙間もないほど、ヒナゲシの花や竜人が沖縄から持ってきたオレンジ色の花、他にもいろいろな花がいつも咲き乱れている。 時々近所のおばさんが通りがかりに、花をもらってもいいかしらと摘んでいく事もある。
 夏にはサマーチェアーやテーブルを置き、庭でアイスコーヒーを飲みながら優雅にくつろぐ。そんなこんなで、この庭は、みんなのお気に入りである。
 それから、ついでに室内の説明もしておこう。間取りは四畳半と、六畳、八畳の三部屋の個室と中央に十二畳ほどのリビングルーム (プレイルームと名付ける)とカウンターを挟んで三畳ほどのキッチン、他には、バスとトイレ、もちろん便器は洋式である。
 ちなみにバスのボイラーが怖い。家庭用としてはかなり大型のものが取り付けられているのであるが、これが古いせいか、 使っている途中で火が消えてしまい、次に点火をしたときに爆発をするのである。爆発の規模は小さいのであるが、かなり恐怖である。
 それから以前住んでいたアメリカ人が塗ったらしく、どこもかしこもペンキで塗りたくってあり、ひと部屋ごとに違った色に塗り分けられているが、 極めて品のない色である。
 一番驚いたのは風呂場のタイルまでもペンキで塗ってあったことだ。あっちこっち剥がれていて、けして美しいとはいえない。
 我々は各自の部屋は各自でペンキを塗ったり壁紙を貼ったり絵を描いたりして飾り立てた。
 裏庭には洗濯物干し場があり、その向かいにロビンソン一家が住んでいる。
 ちょっと説明が長くなってしまったので、そろそろ話を元に戻すとしよう。
「ジャーン 出た!」と龍生は心の中で叫んだ。
「何グズグズやってんだい、トットと開けな、みんないるんだろ、いいところに連れてってあげるから支度をして外に出な・・・ 友達が来ているのかい?」ミセス・ロビンソンはドアのところから半分身を乗り出し部屋の中を見渡した。
「お前たちを含めて六人かい」
「エッ! ええ、そうですね」振り向いて確かめる。
「何でもいいからみんな外に出て待っていな、今タクシーを呼ぶから、いいね」
「はい、分かりました」唐突でしかも強引である。何がなんだかわからないうちに行くことに決まった。
 龍生はもう一度、みんなの顔色を確認する為、振り向いて反応を見ようとしたときである。
「じゃあ、わかったね!」と念を押され、ミセス・ロビンソンは早速電話をしに家に戻った。
「何処かに連れてってやるからって言ってたぞ」遊びに来ていた同じクラスの富田と矢内原そして学年助手の佐伯は顔を見合わせて
「あのおばさんが例の・・・、はあああ」とうなずいた。
「行くんだって・・・しょうがないよな」
「リュウちゃん、どうすればいいんだ、準備ってなにをすればいいんだ」
「何処に行くのかわからないけれど、べつにいいんじゃないかな」
「夢見、オイラ達もいってもいいのか?」
「もちろん、いいんじゃないか」
「そうか、なにを準備しようかな」みんな部屋の中をウロウロとしていた。
「みんな出ておいで!」外で叫んでいる。
 みんなアルコールも少々入っているので、動きがスローである。
「まあ、何でもいいや、行くか」みんな、だるそうにゾロゾロと外へ出ていった。
「早くこいよ!」龍生が叫んだ。
 まだ、部屋でグズグズしているのが居るようである。
「誰かまだ居た?」龍生は竜人にたずねた。
「みんな、もう外に出ているんじゃないか?」
「これで全員だったかな? それならいいや」
 外に出て間もなくタクシーが来た。二台のタクシーが呼んであった。それぞれに分かれて乗り、何処へ行くのか彼らを乗せた二台の車は闇の中を走り出した。
「前がちょっと見づらくなってきましたね、さっきまでこんな濃い霧が出る様子はなかったんですがね、おかしいな」運転手は注意深く運転をしながら言った。
「本当にすごいな、濃霧だ。一メートル先も見えないよ」龍生は驚きの声を上げた。
「リュウ、恐ろしくないか? なんかそれらしい雰囲気になってきたんじゃないか?」竜人は楽しんでいる様子である。
「ほら、あのボーッと火の玉のように光っているのが、街灯だろうな、なんにも見えない中に光っていると無気味だよな、 なんか幻想的で別の世界に迷い込んだって言う感じがするよ」竜人は龍生を怖がらせようと話しかける。
 後で知る事になるが、これから行く所はまさに龍生にとって別世界であった。多少意味は違うが。
「あっ! ホラあっちにも青白い炎の玉が幾つもあるよ、あれ! おかしいな、なんだか動いているみたいだよ」龍生はその方向を指差して言った。
「何言ってるんだよリュウちゃん、また脅かそうとして」竜人はまったく信じようとはしない。
「おっ、本当に動いていたぞ、狐火かな?」ベンも驚きの声を上げた。
「いくらなんでも、こんな街中で狐火はないだろう。ベンソン」
「よく言うプラズマによる火の玉現象かな」
「リュウちゃん、そのぐらいでやめておこうぜ」
「運転手さんそこで停めて、ほら、着いたよ、降りな」二〇分ほどであったろうか。着くと嘘のように霧も晴れていた。




 降りるとそこには、さほど大きくない建物があり、その周りは住宅街と言った感じである。道も細く奥まった路地裏の店といったところで、 知らなければ来ることは出来ないであろう。細い階段を上がって行くと二階にガラス張りのドアがあった。 中に入るとそれほど広くないといった印象の空間、奥にカウンターと手前に数個のテーブルがある。 窓際のテーブルに座ったのだが全員は座れず、残りの三人は他のテーブルに行った。 カウンターの方にはどう見ても高校生ぐらいの、派手目な衣装にかなり短めのスカートをはいた女の子が四、五人いる。 深夜の二時も過ぎようとしていると言うのに何でこんな所に未成年らしい女の子が何人もいるのだろう。 毎日のように夜遊びをしているのであろうか・・・別世界に来たような気がする。 こんな所もあったのかと龍生は認識を新たにする思いである、と言うか認識不足なのかもしれない。
「何でも好きなものを注文しな、私の驕りだよ」
「やっぱしミセス・ロビンソン気風がいいねえ、顔は悪いが気前がいい、よお! 日本一」
「何を言ってんだい? そこでゴチャゴチャと」ミセス・ロビンソンがこちらを振り向く。
「ヤベエ、ヤベエ! 聞こえた? 聞こえないよな」
「誰だよ、コソコソ言ってんのは」龍生が一瞥する。誰が言ったのかは、定かではないが、たぶんあいつだろう。
「お前ら、ほら向こうに、たくさんかわい子ちゃんがいるよ、遊んでおいで」 ミセス・ロビンソンは窓際の隅の席に陣取り、まさに子分を引き連れた女親分さながらに指図する。 みんな大喜びで蜘蛛の巣を散らすようにと言っても五人ほどのことだが、しかし、あっと言う間にテーブルから居なくなった。 龍生を置き去りにしてではあるが、と言うのも悲しいかな次のような事柄である。
 彼も当然のごとくみんなと一緒にすぐそこにある楽しそうなる異世界への期待で胸を膨らませ女の子の居るところへ行こうと席を立とうとしたそのとき、 降って湧いてきたような突然の不幸と言うか、それは起こった。
「何処行くんだい」ミセス・ロビンソンの突然のお言葉。いきなり龍生を呼び止めた。
 猫に睨まれたねずみと言うか、ライオンに睨まれた子鹿、蛇に睨まれた蛙、このぐらいにしておこう。
「夢見、あんたはここにいな、私の酌の相手をするんだよ、誰も居なくなったら、何でお前たちを連れて来たのかわからなくなるじゃないか、 ほら、ボケーとしてないでビールを注いでおくれ」しぶしぶ注ごうとしたそのとき。
「いいよ自分でやるから」 彼の持っていたビール瓶を取り上げ、「ほら! 飲みな」龍生のコップに注いでくれたのである。それから自分のコップにも。
 その後も龍生はミセス・ロビンソンの隣の席から立つ事もなく遠目に他のみんなや女の子達の居るカウンターの方の楽しそうな様子を横目で恨めしそうに追いつづけていた。
 そのことを知ってか知らずか。 「お前もあっちへ行きたいんだろう?」 なんと答えたらいいのだろうと、声を詰まらせ頭をかきながら。
「ああー、エエー、」
「でもおまえはここにいな、あたしの相手をするんだよ」
「どうして私だけが、竜崎や知念でもいいじゃないか」と思いながらも、仕方ないかと諦めの境地。
「ほとんどいけにえ、いや人質状態、みつぎもの、男芸者、ワイロ、汚職、河童、タコ、ムジナ、いもむし、しりもち、チカン、あっ! ンが付いてしまった!  〈おい、こら! 何しりとりなんかやっているんだよ、いい加減にしろ!〉と頭の中を巡る心の声にだんだんと苛立ちを覚えてくる。
 時々ひとりか二人こちらのテーブルに戻ってきて酒を注いで、ちょっと駄弁ってまた行ってしまう。ひとのことなどこれっぽっちも考えていない。
「あいつら・・・」少々腹立たしくなってくる。
 何人かがカウンターの所に居たかと思ったが今は姿が見えない、こちらからは死角になって見えないのだが、カウンターの向こう側にも席と言うか店が続いているらしいのだが、 龍生は最後までそちらの方に行くことはなかった。最初に受けた印象は間違っていたようだ。結構広い店なのである。龍生は思った。向こう側の部屋で、どのような事が繰り広げられていたのかは、知らないが、いや、知りたくもないが、話しの様子からすると、 たぶん個室風に仕切られた空間が幾つもあったのかもしれない・・・と。
「僕の別世界は何処に行ったのだ。ちきしょう、バカやろう!」と泣きたい気持ちである。
「みんないい加減にせえよ。承知しないからな・・・」
 いいかげんみんなが楽しんだ後、店からタクシーを呼んでもらいハウスに帰った。
 みんな車の中で向こうの部屋での出来事で話は盛り上がっていたのだが、龍生は耳をふさいで聞くまいと必死であった。
 不思議な事に帰りもまた濃霧に包まれたのである。きっとこの店には二度と来ることは出来ないだろうとなぜか思った。 言うまでもない事だがすべてミセス・ロビンソンの驕りだ。その事に関してはうれしい、だが龍生はみんなの為に親分のご機嫌取りと酌の相手をする羽目になったのだ。 もう一度、しつこいようだが龍生に最後の怒りの言葉を言わせてあげよう。
「何なんだ! バカやろう! うるせぇぇ〜 あーあ ちょっとスッキリした、それにしてもあの濃霧はなんだったのだろう?」


第二章 弐 アリスの思いでにつづく

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